2012年4月11日水曜日

房日新聞に記事が掲載されました!

地元の房日新聞に記事が掲載されました。
ご覧ください。

以下、転載します。

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初の「大山村塾」に170人 鴨川
地域づくりや政治の話聴く
鴨川市大山地区の「大山村塾」(高野孟塾長)第1回講演会が7日、大山公民館で開かれた。170人が参加し、第1部では東北の村々を歩き回る民俗研究家、結城登美雄氏を講師に、地域づくりについて学んだ。第2部では、高野塾長が野田政権について持論を展開した。
地域再生の活動に取り組んでいる次世代の担い手たちが、同地区に住むジャーナリストの高野氏を塾長に同塾を立ち上げた。世界と日本の動きに目を開きつつ、地域のことをより深く考えるための勉強と討論の場としようという。
偶数月は講演会と高野氏の時事放談など、奇数月は座談会形式で行う。初回のこの日は、宮城県在住で、自ら農業を営む民俗研究家の結城氏を講師に招いた。テーマは「ないものねだりより あるものさがし」。
最初に地域づくりにふれ、「『地域』とは家族の集まりであり、家族のことを思いやることが地域づくりにつながる」と話した。
自らさまざまな村を訪れ調べた結果から「よりよい地域であるための7つの条件」として、▽よい自然風土がある▽よい仕事の場がある▽よい居住環境がある▽よい文化がある▽よい学びの場がある▽よい仲間がいる▽よい行政がある――ことを挙げた。
また沖縄のルポでは、「沖縄の大切なもの」として、食べ物を自給して他の人におすそ分けし、地区の人が一堂に集まっておしゃべりし、共同であらゆることに取り組むことなどを挙げ、「身近に食べ物をつくってくれる人がいる所はよい地域です」と話した。
高野塾長は「いったいどうなっているんだ野田政権」と題して時事放談。消費税や原発問題などにふれ、「政治とは、生きるための条件を整える専門技術」と話し、「目の前の対処だけでは今までの政治と一緒」と現政権をチクリ。福祉については「誰もが長寿を喜べる福祉社会をつくるビジョンが大切」などと持論を展開した。
会場となった同公民館は満杯状態で、参加者は最後まで熱心に講師の話に聞入り、メモをとるなどしていた。

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リンクはこちらです。
http://www.bonichi.com/News/item.htm?iid=6548

2012年4月9日月曜日

結城登美雄氏講演要旨

同じく、「高野孟のTHE JOURNAL」http://bit.ly/vmdxubからの転載です。
また、近日中に音声・動画データもアップする予定です。


〓〓〓 INSIDER No.620-2 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

ないものねだりよりあるものさがし
──大山村塾第1回の結城登美雄講演の要旨

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 地域づくりというが、地域とは何か。個人があって家族があって、そ
の家族の集まりが地域だ。家族のことを考えるのが地域づくりである。
家族を英語でファミリーと言うが、その語源を辞書で調べるとラテン語
のファミリアで、その言葉から英語のファーマー(農民)という言葉も
派生したという。つまり、一緒に耕して一緒に食べるのが家族というこ
とだ。日本でも100年前、いや50年前まではそうだったのに、耕すこと
と食べることが離れてしまったのが今の社会である。

●米と村

 従来、青森県に稲作が伝わったのは鎌倉時代とされてきた。ところが
南津軽郡田舎館村垂柳遺跡の発掘で、弥生時代の畦で区画された水田の
跡が発見され、2000年前からこの地で水稲栽培が行われていたことが明
らかになった。私は司馬遼太郎が大好きで多くの影響を受けているが、
彼が青森県など東北地方で米を作っていることについて「何でこんな寒
冷地に本来は南方のものである米を無理矢理作るのか」と言っているの
はどうかと思う。

 東北では、11月末から3月末、4月中旬まで5カ月間、雪に閉ざされ
て、その間は食物が採れない。その期間は縄文時代であれば南に移動し
たりして凌ぐのだが、いつも生きることへの不安に晒されていた。その
人たちが米に出会って、美味しくて栄養価があり保存もきく米があれば
長い冬を乗り切ることが出来ると思い、「希望の作物」として米を育て
た。その東北の民の切実な思いを抜きに、経済効率だけで「こんなとこ
ろで米を?」と言ってはいけない。

 田んぼがあって冬を越せるから「村」が生まれた。江戸時代に開墾が
盛んに行われて、小さな村がたくさん出来た。当時は、補助金がないど
ころか、米に4割の年貢が課せられて、それでも村は潰れずに300年も
400年も続いてきた。明治初めには、人口約3000万人の9割が村に住ん
でいて、7万1314の村があった。平均すると60~70戸、370人の後に言
う大字が村の原型だった。村は、自分たちで村をよくしようという力を
持っていたが、この50年、カネに頼るようになり、補助金目当てに公民
館を建てたり文化会館を建てたりして、それでもあれがないこれがない
と、「ないものねだり」ばかりするようになった。特に男はそうで、自
分らの住むところはダメだダメだと思ってきた。そうではなくて、この
村にも大切なものがあると気付く「あるものさがし」は女が得意だっ
た。

●7つの条件

 いい地域づくりのための7つの条件がある。

 第1は、いい自然の風土があること。3・11は、人工ではダメで、自
然の上に暮らしを営んでいることを忘れるなという警告だった。もう一
度、暮らしの土台を見直さなくてはならない。

 第2は、いい仕事の場があること。かつて農業はいい仕事であって、
それは単にトーチャンが働いてカネを稼げるということではなくて、
カーチャンにもジーチャンにもバーチャンにもそれぞれの役割があっ
て、それでまずは自分のことは自分でやるという自立精神、足らざると
ころはお互いに助け合い融通し合う相互扶助、どうしても村の中では出
来ないものだけを外からカネで買うという風にしてやってきた。それが
この50年は、何でも市場に丸投げして、カネに任せるようになってし
まった。それを取り戻すことが、いい地域の条件である。

 第3は、いい居住環境があること。東北では、山奥や海辺の狭いとこ
ろにも家があって、外から見ると何であんなところに住むんだとまで言
われもしたが、3・11でそれが失われて、当たり前にあるものの大切さ
を思い知った。

 第4は、いい文化があること。文化とは何かと言えば「皆で楽しむこ
と」で、村が総出で行う祭りや芸能がそうだ。一人で楽しむのは文化で
はなく、トーチャンがパチンコに行くのは文化ではない。

 第5は、いい仲間がいること。

 第6は、いい学びの場があること。昔は村があって寺子屋があって、
そこで森や木や畑や土や花などを「生かす」ことを通じて「生きる」力
を学ぶことが出来た。文部省が出来て学校が始まって、学びは単に「知
る」ためだけの場になってしまった。

 第7は、いい行政があることである。

 この全部を一遍に満たすことは出来なくても、地域の人が「私はこれ
なら出来るぞ」ということを始めることである。

●村の誇り

 私が25年間通ってきた岩手県の山奥の5戸18人の村がある。行政は、
こんなところに住んでいても仕方がないから山を下りろと勧告した。し
かし彼らは留まることを決意し、「村の目標」を掲げた。「与えられた
自然立地を生かし、この地に住むことに誇りを持ち、一人一芸何かを作
り、都会の後を追い求めず、独自の生活文化を伝統の中から創造し、集
落の共同と和の精神で、生活を高めようとする村である」と宣言した。

 今では、年に2000人から2500人の若者がその村に泊まって、ジーサン
たちから昔ながらの手業を学ぶ場になっている。柳田國男が「美しい村
などはじめからあったわけではない。美しく暮らそうという村人がい
て、美しい村になるのである」と言ったが、ここはまさにそういう村で
ある。

 沖縄のことに触れたい。国頭村の奥の集落に通って104歳のバーチャ
ンに触れて、ここには村を成り立たせている4つの原理があることを
知った。「あたい」「ゆんたく」「ゆいまーる」「てえげえ」である。

 「あたい」は辺りのことで、自分の家の周りに自給のための畑を持ち
なさいということである。誰もが小さな畑を持っていて、自分のところ
で食べきれないものはお裾分けする。

 「ゆんたく」はお茶をしながらおしゃべりすることで、そのバーチャ
ンのところには朝6時から村の26戸の人たちが集まってくる。「この機
械のネジが緩んでいるようなんだが」「ああ、俺が直しておいてやる
よ」とか、「キャベツの苗がないか」「ウチに余っているのがあるから
後で持ってこよう」とか、大抵の悩みはその場で自分たちで解決してし
まう。

 「ゆいまーる」は共同作業で、その究極の形が全村民出資の雑貨店と
いうかコンビニである「共同店」。スーパーに比べて決して安くはない
が、村民がこぞってそこで買い物をすることで利益を上げ、その資金で
子弟のための奨学金や医療費の無利子貸与制度を作ったり、船やバスを
買って公共交通を確保したり、泡盛工場を創設したり、発電所を建設し
たりして、それでも余った分を1億5000万円、行政に貸し付けたりして
いる。

 もう1つは「てえげえ」で、大概、まあアバウトでいいじゃないかと
いう精神である。

●ここにあるもの

 生きる根本が食であるということを思うと、身近に農産物があり、あ
るいはそれを作っている人がいることがどれほど安心なことか。村には
あれがない、これがないと言うが、視点を変えればここにあるものが全
部活きてくる。自然は時として牙をむくこともあるが、限りなく有り難
いものでもある。

 地域というのは、中央に対する地方、地域ということではなく、自然
の上に住むということである。その自然を生かす技を持っているのが地
域である。▲

 

大山村塾 第1回講演会開催!


第1回講演会が盛大に開催されました!
(塾長である高野孟の有料メルマガ、「高野孟のTHE JOURNAL」http://bit.ly/vmdxub
から転載いたします。)

〓〓〓 INSIDER No.620-1 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

鴨川市で「大山村塾」発足!
──第1回講演会を盛大に開催

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私が5年前から居住する房総半島・鴨川市の奥地である旧大山村地域
の大山公民館で4月7日、「大山村塾」第1回講演会が開かれ、椅子が
75脚しかなく、それでは足りないと見て座布団を44枚掻き集めて約120
人分の席を用意したにもかかわらず、それを遥かに上回る170人以上の
聴衆が詰めかける大盛況となった。もちろん鴨川市民が大半だったが、
中には東京、横浜、水戸、筑波、成田、大多喜町など遠方からわざわざ
駆けつけてきた方もいて嬉しかった。

塾長である高野の短い開講挨拶の後、第1部では、仙台在住の民俗研
究家で「地元学」の提唱者である結城登美雄氏を講師に迎え、「ないも
のねだりよりあるものさがし」と題して1時間半、講演した(別項参
照)。第2部では、高野が「どうなっているのだ野田政権」と題して、
4月2日に「民主プレス」に対して語ったのと同趣旨(confab 4月2
日参照)の講話を40分間で行った。


●自分たちで何とかしよう

超ローカルもしくは個人的な話題と思われるかもしれないが、必ずし
もそうではない。3・11以後、困った時には“お上”が何とかしてくれ
るのが当然で、それを待つしか生きる術はないという長年にわたる共同
幻想は最終的に完膚無きまでに打ち砕かれた。そして、自分たちで何と
かしよう──地域末端に生きる“下々”の者たちが、たとえささやかで
あっても自分らで事を起こして、何ほどかマシな世の中を作るために動
き始めなければならないという思考と行動の模索が、被災地はもとより
全国各地で蠢き出している。「大山村塾」も、そのような全国的なトレ
ンドの1つの現れと言えるだろう。

きっかけは、都会からこの地域に移住してきた若い世代の人たちとの
対話だった。彼らは3・11の直後、旧大山小学校の廃校跡を利用して被
災地の人々のための避難所を設営する「大山支援村」プロジェクトを機
敏に立ち上げ、市や地元の人々の協力も得て寝具、暖房具、鍋釜など生
活道具を用意し、すぐにでも生活が始められるよう態勢を整えた。諸事
情から、ここが避難所として使われることはなかったが、福島県の子ど
もたちやその家族を無料で招待する1泊2日のバスツァーを何度か実施
し、子どもたちに「え?マスクしないで外へ出ていいの?」と喜ばれ
た。その活動も昨年末をもって終了し、彼らはこの地域を元気にするた
めの次の行動目標を模索していた。またその中の1人は、今まで若い移
住者たちだけで環境問題や食と農についての勉強会を開いてきたが、ど
うしたらそれを地元の人々にも開かれた形に発展させられるか思いあぐ
ねていた。また私は私で、鴨川自然王国や釜沼北の棚田クラブに参加し
たり、帰農塾の塾長として講師を務めてきたりしていたが、もっと自分
の持ち味を活かした独自の企画を展開して地域に積極貢献すべきではな
いかと考え始めていた。それらのいろいろな思いが寄り合わさって、
「大山村塾」の構想が生まれ、私が塾長に担ぎ上げられた。

第1回講演会の宣伝ビラに、私は次のような挨拶を載せた。

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私が安房鴨川の山中、大山地区の金束に移り住んで5年が経とうとして
います。

元はと言えば、学生時代からの友である故・藤本敏夫に誘われて、20年
近くも前になりますが、鴨川自然王国を訪れて、この地の里山風景の美
しさに驚き、またその裏側で進む森林や田畑の荒廃にもう一度驚いて、
放っておけない気分になったのが始まりです。

引っ越し後は、地元の方々とも都会からの移住者の方々とも交流が広
がって、楽しい毎日を過ごさせて頂いていますが、近頃、とくに東日本
大震災以降、単にそうやっていろいろなお付き合いを個人的に楽しませ
て貰っているだけでは申し訳なく、私の持っているささやかな経験や識
見や内外の人脈を活かして、この大山地区のみならず鴨川市や南房総
「安房国」を元気にするための一つの形を作って、次の世代に遺すべき
ものを遺していきたいと思うようになりました。

ちょうどそのような時に、「地域再生のための『塾』を始めたいので、
塾長となって働け」とのご提案があり、間もなく古希という老骨に鞭
打って、もうひと働きしようと決意するに至りました。

地元だけでなく、南房総、いや南だけでなく広く房総でこの世の中を何
とかしたいと思っている皆さんが参加して下さることを望みます。よろ
しくお願いします。

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●これからの予定

大山村塾は、4月7日を第1回として偶数月に外部から講師を招いて
有料講演会を開催し、奇数月には若者たちを主体とする無料の座会を開
く。講演会は、第1部を講師による講演、第2部で私が時論を語る。当
面決まっている予定は次の通り。

《講演会》
第1回 4月7日 講師=結城登美雄(民俗研究家)
「ないものねだりよりあるものさがし」
第2回 6月9日 講師=甲斐良治(農文協編集局次長、前『季刊地
域』編集長)
「全国で青年帰農がトレンドに:30の実例とその教訓」
第3回 8月18日 講師=鳩山由紀夫(前総理)
「自らの反省も含め民主党政権の3年間を振り返る」
第4回 10月20日 講師=河野太郎(自民党衆議院議員)
「とにかく、まず、核燃料サイクルを止めよう」

《座会》
第1回 5月12日 映画『シェーナウの想い』上映会
第2回 7月7日 放射性残土は安房にいらない!
第3回 9月15日 鴨川の農村を考える

鴨川山中の小さな公民館に、前総理や自民党総裁候補が来てしまうと
いうのが面白い。「松下村塾」のように天下を揺るがすほどのことには
ならないが、ここから確かな何かが始まるに違いない。▲